あべこべな華で凍らせて

日本語力ZEROのジャニーズ史

華麗なる転落人生

先日偉大なるエンターテイナー、わたしの人生を作ってくれたジャニー喜多川氏が新たな旅に出た。

それを機にわたしもこれまでのジャニーズ史を

振り返ってみた。

一旦わたしの今現在の推しを整理してみる。

 

1人目は嵐の櫻井翔

2人目はKAT-TUN上田竜也

3人目はSnowMan阿部亮平

 

う〜ん、なんともバラバラ。推し歴もバラバラ。

唯一の共通点といえば櫻井翔を崇拝してる点。

やっぱり軸は櫻井翔なのだろう。

 

わたしのジャニーズ史のいちばん初めの

ページから見ていこう。

 

櫻井翔から始まる

初めて櫻井翔を認識したのは10周年のタイミング。

それまで周りが嵐と騒いでいても嵐がジャニーズであることもメンバーが誰なのかも知らなかった。

そんなわたしが櫻井翔を認識したのは、

なんと弟からだった。

ある日弟にちゃおに載っていた櫻井翔のページが

欲しいと言われた。櫻井翔って誰だよと思いながらも

快くそのページを渡した。

 

弟はベットの横にそのページを貼り付けていた。ということはわたしも毎日目にすることになる。(同じ部屋だからね。)

それがちょうど「ザ・クイズショウ」の時期だった。

弟が見ると言うので一緒に見始めただけだったのが、

終わる頃にはどっぷり神山ロス。白のダボダボ。

記憶喪失。そして何より顔がいい。ド性癖。

 

こうして櫻井翔というひとりのアイドルに

手を出し始める。

(弟は櫻井翔を推していたことを

完全に忘れているのは腑に落ちない。

お前のせいでわたしの人生色づいちゃった

じゃねぇか(怒)ありがとよ(殴))

 

全てはここから。

わたしのジャニーズ史が始まる。

(小さい頃にSMAPのライブに

親子席最前で入ったため、SMAPは知ってたし、

なんなら慎吾ちゃんにめちゃめちゃ構ってもらった

記憶も鮮明に覚えてるのでジャニーズ自体は知ってた。

けど自分で手を出したのはここから。)

 

圧倒的カリスマKAT-TUN

それと同時期にKAT-TUNというグループを知る。

テレビの中のKAT-TUNはそれはそれは圧倒的だった。友達がKAT-TUNのヲタクだったことも大きい。

最初の推しは赤西仁だった。亀梨とセンターに

立っている赤西仁という男は、当時の私にとって

別次元の人間だった。遠い遠い存在でしかなかった

ため、ひっそりとお茶の間で応援していた。

お金がなかったし、わたしなんかが手を出しては

いけないと思い込んでたし。

近づかなかったというよりは、近づけなかった。

 

赤西脱退後の推しは2推しだった田中聖

くっそイケメンだし、なんて言ってるか

わからなかったけどラップを雰囲気で真似していた。

当時は今の推しである上田竜也は甘栗期で、

わたしはすぐ死にそうなホストと呼んでいたのも

印象深い。


でまた推しが脱退。推しが上田竜也になる。

(推しが脱退するの2回目だったから

次推したのやめるんじゃん?って

不安だったんだよなぁ)

 

そんなすぐ死にそうなホストに、KAT-TUNに初めて

お金を落としたのは「楔-kusabi-」だった。

と言っても、BOOKOFFで買ったんだけども。

聖脱退後初めてのミニアルバム。新生KAT-TUN

まぁBOOKOFFなんだけどね。(正規で買えよってな)

 

前々からKAT-TUNの曲は好きだったが、

楔はドンピシャだった。PVも好き。

なによりKAT-TUNの覚悟がビシビシ伝わってきた。

どう考えても強い。新生KAT-TUN強すぎる。

とまぁここからKAT-TUNのヲタクとして活動する。

と言っても、嵐を追うので必死だったし、

K-POPの方もバチバチに推していたので

あまりお金を落とすことが出来なかった。

(実はK-POPの方がジャニーズ歴より長いんですよね。そこの話すると長いのでカットで。)


覚悟を決めてFCに入ったのはKAT-TUN復活宣言のカウコン放送後すぐ入った。3分以内には入った。

復活したら絶対はいるって決めてたから

大号泣しながら登録したなぁ。おかえりぃとか

叫びながら登録したけどお正月だから

Pay-easyやってなかったんだよなぁ。


こんな感じに2グループ(主に嵐)を推してきたわけ

だけども。

嵐の活動休止宣言をきっかけに、

ここからわたしのジャニーズ史に載る予定のなかった

ジャンルに手を出し始める。

 

絶対に手を出さないと思っていた沼

ジャニーズJrという世界を知ったのはある友達が

きっかけだった。

その友達が押していたのが「林翔太」。

林翔太がいなかったらジャニーズJrという存在を

知らなかったかもしれない。

大野ソロを見る度に林翔太!林翔太!と言われ、

いまでは大野ソロでは林翔太しか

見えなくなってしまったし、

林翔太を探すのが上手くなってしまった。

ただ林翔太のヲタクではないので勘違いしないでね。

 

周りの影響で暇があれば少クラを見るようになる。

なんで推しもいないのに少クラを見ていたのかは

未だに謎。

KAT-TUNが少プレやってた頃は毎週見てた。

SixTONESKAT-TUNの曲を多くやってた

ってたのもあり、聖の弟の樹を推しとして

SixTONESの茶の間ヲタクしてた。

毎週見ていた割には名前は全然覚えなかったし、SnowManも岩本照しか知らなかった。

その理由もハチマキのZZLでいちばん

K-POPっぽかったからというなんとも単純な理由。SixTONESと岩本照、あとはチェン(安井謙太郎)という知識量だけ。あ、あとは猪狩蒼弥。

(猪狩蒼弥に関しては完全に友達の影響。)

 

ジャニーズJrチャンネルが出来てからは

SixTONESは暇があれば見てたので全部見ていた。

パフォーマンス動画はSnowManも見ていた。

Snow Dreamいい曲だなぁくらいだった。

ずっとジャニーズJrにはハマらない!!!

と言い続けていたのだが、今考えるとそれは

自分に暗示をかけていたのだろう。

友達がジャニーズJrに手を出しているのを見ていたので金が飛ぶことは分かっていた。

だからハマってはいけない、破産すると

どこかで思っていたのだろう。

だから名前も覚えないようにしていたのだろう。

名前を覚えたら終わり。それは分かっていた。

分かっていたのに。

 

そんなわたしが阿部亮平を認識したのはVS嵐SnowManが応援で出た時。

前々から天気予報士の資格を持ったJrがいるのは

知っていたし、そのJrが櫻井翔を崇拝してるのも

知ってた。

それが阿部亮平であることは知っていたけど、

顔と名前は一致していなかった。

それが一致してしまったのだ。完全に不覚だった。

ただでさえ櫻井翔を崇拝している時点で

ポイント高いのに、顔がいい....

VS嵐で可愛いと思ってしまった自分に気がついたが

気付かないふりをし続けた。

そんな中、時間があったのでスノTubeに手を出す。

くっそ。名前を覚えてしまった....。

そんな時にZIP!を見ていたら、

キテルネ!で カレーを食べる阿部亮平

その日はカレーを食べた。

無意識のうちにカレーを食べていた。

待ってくれ、もしかして、わたし、

阿部亮平の影響でカレー食べた?

と寝る直前に気づく。

寝れなかった。寝れるわけがなかった。

いままで避けてきたJrという沼に

ハマっていたのだから。

阿部亮平幸せになって欲しい。

そう思ってしまった自分が信じられなかった。

 

その後、ISLAND TVに登録して阿部亮平

お気に入りアーティストに。

そのスクショをストーリーに載っけたら、

周りのJr担全員からついに手を出したかと連絡が来た。絡んだこと無かった阿部担の中学・高校の後輩から

阿部亮平は絶対幸せにしてくれますとDMが来た。

阿部亮平の出演情報も全部送られてきた。

 

そこからはもう華麗なる沼落ちだった。

 

華麗なる転落人生

 

とりあえずのジャニーズ史-沼落ち記録-をここに記す。